アメリカ商社マンの駐在生活と就職活動について語るブログ

アメリカに赴任中の20代独身総合商社マンです。現地での仕事や生活、就職活動等について自由に書いていきたいと思います。

【就職留年→インド渡航→総合商社内定】就職活動の地獄と天国を味わったことで得た気付きと教訓

こんにちは、コジオです。

今日は筆者の就職活動のいきさつについて紹介させてもらえればと思います。

筆者は就職留年の末現在働く第一志望の総合商社から内定を得ることができました。

その過程について、簡単な流れを下記します。

 

・就職活動1年目はほとんど内定をもらえず大失敗

・就職留年、休学してインド渡航を決意

・インドでボランティア活動に励む

・帰国後就職活動を再開、第一志望の総合商社に内定

 

今コラムでは私が就職活動で味わった苦渋と困難、そこからどのように再起し、第一志望の企業から内定を得たか、その内容について時系列で説明できればと思います。

もう5年位前の話なので今更感もありますが、これから就職活動を控える学生の方の参考に少しでもなればなと思ってます。

 

 

 

どこにでもいる平凡な学生

時は2011年、、、当時筆者は大学三年生、就職活動の真っただ中でした。大学生活では主にサークル活動に励んでおり、マスコミ系のサークルで大学スポーツ新聞の記者をやったり、サッカーサークルでリーグ戦の一部昇格を目指したいたりしていました。

勉強はあまりしておらず、ゼミにも入っておりませんでした。表題では平凡な学生と書いていますが、むしろ平均以下の学生だったな、と今振り返ると思います。

 

第一志望は大手マスコミ、就活を甘く見ていた勘違い野郎

さて、そんな平均以下の学生だった私ですが、就職活動での第一志望業界は新聞社や通信社などのマスコミ系、採用人数も限られた最難関業界の一つです。

元々スポーツ記者に興味がありサークルでもそのような活動をしていたので、その延長線上で将来記者になってプロスポーツを取材出来たら楽しそうだな~と思っていたのですが、そもそもなぜ記者になりたいのかの自己分析を大してせず、また時事問題や作文といったマスコミ業界固有の対策も直前数か月のみという中途半端な準備でした。

マスコミ業界以外も大手企業を中心にいくつかESは出していたので「マスコミが落ちたら、どこか他で受かった企業に行けばいいかな~」と軽い気持ちで考えていました。

 

人生最大の挫折、就職活動での大敗

さて、4月を迎えていざ本番、期待を胸に膨らませながら面接に臨みましたが、、、結果は連戦連敗、それもほとんどの企業が一次か二次面接で落選というとても厳しいものでした。それもそのはずで、自己分析、業界分析を大してやってなかったので志望動機が非常に浅はかであいまいだったのです。

これまで学生時代にやってきた活動や自分自身ついてはもちろん説明できたのですが、そういった自分がなぜその業界、企業を志望するに至ったか全く説明できなかったんですね。就職活動の基本を疎かにしており、サッカーで言えばインサイドパスができないまま試合に臨んだようなものでした。(文章にしていても恥ずかしいレベルですが、、)

次々とくるお祈りメール、4月後半になると持ち駒もなくなり私は八方塞がり状態に陥りました。周囲の友人は既にほとんど進路を決めており、飲み会をしたり夏休みの話をするなか、私は泣きながらまだ募集のある企業を探してエントリーしました。

しかし、自己分析の甘さもあり心から行きたいと思える会社を見つけられず、また会社側から見ても悲壮感漂う私を採用する気もちにはならなかったのでしょう、上手くいくことはありませんでした。

私は自分だけ活動に縛られ結果も出ないことに大変苦しみノイローゼ気味になりました。季節も気付いたら初夏になっており、どんどん暑くなる中でブラックスーツを着て面接に行くことは苦痛以外の何物でもありませんでした。

 

大都会のビル群を見て芽生えた気持ち

そしてその後も芳しい結果を得られずダラダラと活動を続けていた7月のとある日、私は汐留にある会社での面接を終え、「今日も手応えなかったな~」とぼんやりしながらベンチに座ってビル群を眺めていました。

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そして、「このまま自分の軸を明確に持たないまま活動しても納得した結果を得られるはずはない。意味ないんじゃないか!?」と思いました。またふと同時に、「日本は生活水準も高く、色々なことが満ち足りている。一方世界では経済的に発展していない国も多い。仕事をするならそういった国の成長に関われる方が伸びしろも大きくやりがいがあるのでは?」という考えが芽生えました。そして視野を広めるために、大学生活で少し興味はあったけど、なんとなく遠回しにしていた海外長期滞在にトライしたい気持ちになりました。

この時初めて就職留年して海外経験を積み、もう一度就活に挑むことを考えました。

大学休学、インド渡航

さて、じゃあ実際に留年すると費用はどれくらいかかるのか?渡航先はどうしようか?等色々と調べ事です。まず大学の休学制度を見たところ、当時は具体的な理由があれば年間20万程度の施設利用費を払うだけで学費は免除という休学措置があり、これを利用することに。(今振り返ってもこの制度は学生の選択肢を広められるとてもいい制度だったと思います)

また、海外渡航については民間のボランティア団体でホームステイできる行先を探しました。そしてその中でインドの中学校でのボランティア募集があったので私はこれに応募することにしました。

なぜ語学留学ではなくボランティアにしたのか、またその中でなぜインドでホームステイすることにしたのか理由は下記です。

①価値を受け取る側でなく、人に与える活動をしたかった

②インドは途上国の中でも生活水準が低くそれにどっぷり浸かって体験してみたかった、一方で大きく経済成長中であり正と負の部分を体感できると思った、

公用語が英語

④常識が通用しないハードなイメージがあり、自分を鍛えられそうだった

平たく言うと厳しい環境に追い込んで自分を見つめなおし、将来の目標を決めよう!という気持ちでした。

親にもプレゼン資料を作って説明して納得してもらい、渡航、生活費用約30万円と休学費用20万円、おおよそ50万円ほど借りて休学することを認めてもらいました。

 

インド生活、予想外の出来事の連続

さて、9月になりいよいよインドに出発です。3ヶ月の渡航予定でしたが初めての海外長期滞在、それもインドという正体不明の国の田舎町に済む予定だったので、渡航前日は不安で夜も眠れませんでした。

そしていざインドに着陸、勤務予定先の中学校に到着したのですがそうそうにパンチを食らいました。

管理者:「いまここは人手でいっぱいだから君は保育園に行きなさい」

コジオ:「Whats!??(なんだと!?)中学生向けに教えたいことを考えてきたからここで働けないか」

学校の管理者:「それは無理だ。とにかく保育園に行きなさい」

コジオ:「・・・」

 

私は空いた時間で日本の文化を伝える授業をしたいと思って、準備していましたが相手が英語もわからない幼稚園生では難しいでしょう。その時は愕然としました。しかしどうすることもできないので管理の適当さに怒りを覚えながら、仕方なく保育園を運営しているホームステイ先に移動しました。

そしてお世話になる家に到着したのですが、、、生活環境はなかなか厳しいものでした。まず食事ですが朝昼晩毎食カレー、そして味付けが独特で正直あまり口には合いませんでした。(作ってもらっているのでありがたく毎回残さず食べましたが)

また、住環境で辛かったのはシャワーは冷水しか出なかったことです。私がいたのはバンガロールというインド南部の都市からバスで一時間ほどかけたとこにある田舎町、標高2千メートルほどだったのでインドにしては涼しい場所だったんですね。だから冷水シャワーは余計に辛く、シャワーを浴びる前に毎回腕立て伏せ100回して体を温めるようにしていました

そんな環境だったのですが平日昼間は慣れない子供の保育に勤しみ、空いた時間で絶対内定を使った自己分析、英語学習を重ねていました。

 

日本語学校との出会い

そんな形で日々の生活を営んで約一か月が経ちました。生活には慣れてきましたが、同時に渡航目的の一つである「周囲の人に価値を提供する活動をする」ことを十分に果たせていないことに焦りを感じてきました。もちろん保育も立派な仕事なのですが、慣れていないこともあり、自分が役立っていると心からは言えない状態でした。

そんな中インターネットをしていたら、バンガロールにインド人が経営する日本語学校があることを発見。日本文化を学ぶが大学生や日系企業で働くインド人が通っているようでした。

私はここでなら自分の価値を発揮でき、また当初考えていた日本文化を伝えることもできるのではと思い、突撃訪問して「ここでボランティアさせてください!」と志願しました。先生はそれを快諾してくれ、以降平日は保育園、土日は日本語学校で働くことになりました。また、日本語学校では毎週一時間もらって、生徒に対して自由に講義することを認めてくれました。

それからというものの、平日は毎日保育園での業務が終わったら、講義の内容を考えることに夢中でした。プレゼンの内容を考えることはとても楽しく、なぜなら自分のアイデア、企画を実行して人の役に立てることを、直接肌で感じ取れるからです。

また、今振り返るとプレゼンは基本英語で行っていたので、この時のプレゼン作成活動によって英語力がかなり上昇したと思います。

インド人の生徒は積極性が強く質問も頻繁に投げかけてくれるのでとてもやりがいがありました。就職活動で社会から否定され続けた私にとって、直接「ためになった」「ありがとう」など言葉をかけてくれることはとても嬉しく、生活環境は悪かったですがそれが全く気にならないくらいの充実感で日々を過ごしていました。

暖かいシャワーも浴びれない、食事も満足にとれない中でしたが、日本語学校では日本人は私だけ、私が話すことが生徒の日本に対するイメージを植えつけることになるので、実のある内容にしなければいけないという不思議な使命感が私を突き動かしていました。

そうして働いている内に、あっという間に12月の帰国日が迫ってきました。私としては日本語学校の仕事が楽しかったのでもう少し滞在したかったのですが、帰国して就職活動も再開しなければならなかったので少し物足りなさを感じながらも帰国の途につきました。

インドを離れるのは寂しかったですが、帰国日には家族が空港まで迎えに来てくれて、実家で温かいお風呂(3か月ぶり)とお刺身を堪能し、「やっぱり日本は最高だな~」としみじみと実感。暫く制限されていたからこそ、久しぶりに味あう時の喜びは格別でした。

↓写真は帰国直前に立ち寄ったガンジス川の日の出です。3ヶ月の滞在で感じたこと、日本に帰国してからのことなど色々な思いに耽っていました。

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 帰国、就職活動再開

 

さて、日本に帰ってほっとしたのは束の間、就職活動の再開です。帰国した時には既に就活解禁されていたので、急いでキャッチアップする必要がありました。

2度目の就職活動、これを逃したら後はないという気持ちで妥協ないよう、具体的に下記三点を意識して挑みました。

①自分の軸を明確化し、それに見合う業界を幅広く受ける

昨年の就活では自己分析を曖昧にしたままマスコミを中心に対策しており、不必要に視野を狭めてしまった、結果内定がほとんどもらえなかったと経緯がありました。

2年目はその反省を生かしてインド滞在中に捻りだした自分の軸をベースとし、それに当てはまる企業をなるべく幅広く受けるようにしました。就活は時として内定取得ゲームと比喩されることもありますがこれはある意味正しくて、複数内定を得なければ企業を選ぶ権利もなくなりますし、第一志望の企業から内定を貰えないリスクも考えて、まずは優先順位をつけつつもなるべく多くの内定を得ることを目標にしました。

 ②志望動機、自己PRのアウトプットを繰り返す

これまた昨年度の反省なのですが、OB訪問や就活生同士のコミュニティへの参加などの活動に消極的であったので、ESや志望動機の添削をしてもらう機会をあまり作れず、結果本番で浅はかなESを提出することになってしまいました。

ですので2年目はOB訪問時に必ずそれらを準備して、社会人の方から見てどう思うかの感想を聞いたり、商社志望の学生が集まるコミュニティに参加して互いにESをブラッシュアップする機会を積極的に作るようにしました。

 やはり、こういうのって自分で完璧!と思っても、周りから見たら伝わっていないこととか往々にしてあるので、アウトプットして周りの意見を素直に聞くこの繰り返しが大切です(社会人になってもこれは当てはまりますね。。。)

 ③客観的なスペックを身につける(TOEIC900点)

やはり就職留年していることは多少ビハインドになるのでは?という不安があったので、現役生にも負けないために客観的なスペックを高める必要があると感じた筆者はTOEIC900点取得を目標にしました。

これについてはインド渡航前から心に決めており、インド滞在中は空き時間で地元の英字新聞を読んで分からない単語をメモした独自のノートを作ったり、日本語学校でのプレゼン作成、発表、意見交換によって語彙力や英語の総合力の地盤を身に着けました。帰国してからは問題集をひたすら解きまくって、1月の試験で900点超えを達成しました。(出国前が700点前後なので約4か月で200点ほど向上したことになります)

 

2年越しの成果、第一志望の総合商社に内定

さて、そうこうしている間に4月を迎え、面接解禁です。

この時はもう十分準備をし尽くしたから、あとは自然体で会話するだけだ、という気持ちでした。その落ち着きが功を奏したのか、下記の成果を得られました。

内定先:大手総合商社、大手日系IT企業、大手通信会社

最終辞退:大手人材会社

特に第一志望の商社から内定をもっらた時の喜びはとても大きく、高揚感で一杯だったので、その日は東京駅近辺から新宿駅まで歩いて帰ってしまいました。(約8km)

 

挫折と再起を経て思うこと

 

最後に就職活動の大失敗、そこから復活した道のりを経験して思ったことについて述べたいと思います。

 

①周りと異なるレールを歩む時こそ、強い個性が生まれるチャンスだ

中高一貫のそこそこ有名な私立学校から現役で有名私大に進学した私にとっては、この就職留年が人生における初めての回り道であり、周りの大多数の人が歩むレールから外れた道の選択でした。

しかし、あえてレールから外れた道を歩み、大学生活でやり残した海外経験を積んだことで多くの物を得ることができました。日本の常識では考えられないインドでの生活を経験したことで多少のことに動じなくなった気がしますし、クレイジーな出来事は結構会話のネタになったりもします笑

 

②人は置かれた環境によって大きく成長が左右される

私はインド滞在中、平日昼間は保育園、土日は日本語学校でボランティアをしていましたが、その他の空いた時間は自己分析と英語学習を徹底して継続しました。自分で言うのもなんですがよくの努力したなーと思うのですが、それはインドの田舎町という特殊な環境(娯楽ほとんどなし)だったことが大きいと思います。

私自身、自律心がそこまで強いわけでなく、普段は勉強してても途中で飽きてテレビやyoutubeを見たりとかしてしまうのですが、あえて誘惑の少ない厳しい環境に身を置くことで大きく成長することができたと思います。

W杯セネガル戦でゴールを決めたサッカー本田選手も「自分は環境先行型」と明言していますよね。この言葉は正しくその通りだと感じています。

 

③ふとした時に芽生えた気持ち、思いを大切にすべきだ

筆者の就職留年、インド渡航の決断は就職活動で全くうまくいかなかった時に、ふと思った疑問点からスタートしています。当時相談した人の中には留年に反対する人もいたのですが、私はその時芽生えた気持ちを、なあなあに流すのではなく行動に移すことで、結果様々な経験をすることができました。

周囲の人から意見を聞くことも大事ですが、常に周りのアドバイスを基に行動するよりも、ふと芽生えた自分の気持ち、考えに対して正直に向き合い、そして行動に移すということの方が自分という人間のパーソナリティを形成する上では大切なんだと思います。その思いに基づいて行動してみて、失敗したり、なんか違うなと思ったとしてもそれはそれでよくて、違うということに気づけたことが収穫になるんだと思います。これからも周りに流されず行動していきたいですね。

 

なんだか暑苦しい話になってしまいましたが、最後まで読んでくれた方お付き合い頂きありがとうございます!

少しでも共感してくれる方がいたら幸いです。

 

 

コジオ